市指定
吳之湖の家屋
- 指定番号市道記念物6号
- 指定日 1986年9月29日(1986年11月1日 文化財庁)
- 時代1890年代
- 所有者吳承潤
- 材料-
- 規模-
- 管理機関吳承潤
基本情報

この家屋は、西洋画の大家として知られる吳之湖が朝鮮大学の教授として務めていた1954年以降1982年死亡するまで住んでいた家である。元々は100年ほどの歴史を持つ建物だったが、衰え始めると1986年に全面的に改修された。宅内には母屋と正門わきの棟しかないが、母屋は隅ジン閣屋根の草屋で、正面4間、側面1間の構造である。前面は、1間半の台所と1間の部屋が三つあり、後面には縁側と小部屋があり、台所には格子窓と天井を復元しており、板べいで構成された台所のドアは、昔のままである。 粗石で乱積した基壇の上に加工していない石を置き前面には四角の柱、後面には円形の柱を建てた。上には牛眉樑と平桁を組み立て、内部には高い柱の上に大梁を掛け、束の上に棟を置いている。椽木は細く、敷衍は竹で編んでいる。 正門わきの棟は吳之湖の画室であり、6坪ほどの正統ヨーロッパ様式の家屋である。吳之湖(1905~1982)は、印象主義の絵画様式を韓国に定着させた画家として、和順同福出身であり、徽文高普で高羲東から美術を習い、日本東京美術学校に留学した。 1948年からは光州に住み着き、「光州美術研究会」を組織する一方、朝鮮大学美術科の教授を務める。「全南道展」を創立して具象絵優位の理念を重視することで湖南圏画団の油絵画風を大いに喚起させた。晩年には漢字教育復活運動を展開し、1973年に国民勲章の牧丹章を受け、1977年には大韓民国芸術院賞を受賞した。
出典:文化財庁、東区役所ー文化遺産
位置
- 光州広域市東区芝山洞257(文化財庁275)
- 062-608-2114
ツアー情報
利用時間 | - |
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休日 | なし |
Charges | - |
駐車場 | なし |