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文化観光

光州邑城遺墟

  • 指定番号文化財資料20号
  • 指定日 1994年4月13日
  • 時代朝鮮時代
  • 所有者全羅南道庁
  • 材料-
  • 規模-
  • 管理機関文化体育観光部

基本情報

光州邑城遺墟

光州邑城跡地は、1992年4月、全羅南道庁の駐車場を作るために敷地を整理している中で発見された遺跡で、地籍図上にもその痕跡が残っている。 1879年に刊行された『光州邑誌』では、石垣が直径8253尺、高さ9尺で、城内に百の井戸と女堞があり、池は今はなくなっており、城門として瑞元(東)、光利(西)、鎭南(南)、拱北(北)の4門があったことが記されている。1904年に光州邑城の人口は1万人前後であり、城はそれまでよく保存されていた。1931年の記録によると、観察府が武德殿の位置にあったことが記されている。 邑城の撤去は、1909年に日本軍が大韓帝国民の義兵抗争を弾圧し始めた際から進み、その場所には道路が作られ、日本人が通う新市街地が形成されたが、それが今日の忠壮洞2街、3街である。 1979年に刊行された『光州時事』では、この城が1908年から1918年の間に撤去され、4大門の位置と城の外に溝があったことを明らかにしている。瑞元門は大義洞の前・光州文化放送十字路、光利門は黄金洞の前・米国公報館方面の十字路、鎭南門は光山洞の前・全南大学医学部方面の十字路、拱北門は錦南路3街忠壮交番十字路にあったと記されている。 東軒など、朝鮮時代に光州の官庁があった全羅南道庁は、高麗初期の戊辰年石灯(市有形文化財第5号)などの遺物から、もともと寺のあった場所だったと見られる。従って、この邑城は朝鮮時代以降築城されたことが分かる。 現在は、城壁と関連のある石と、土からなっている堤防だけが一部残っているが、確認された城壁の高さは1.9mだ。

出典:文化財庁、東区役所ー文化探訪

位置

  • 光州広域市東区光山洞13
  • 062-608-2221
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ツアー情報

ツアー情報  - 利用時間, 休日, 駐車場
利用時間 09 : 00 ~ 24 : 00
休日 なし
Charges -
駐車場 なし